いまも自分のテーマを探し続けている
好きなことをいろいろ試してみたけれど「私には何ができるのだろう」と 今もまだ探し続けています。 パリスタイルとの出会いは「シャンペトル」という言葉を知り KOLMEフラワースクールのKazukoさんの人生に惹かれたこと。 そして、ここでディプロマコースを受講しました。
先生になることが目的ではなくて 、ただ技術を極めたいためにディプロマコースを選択したような気がします。 芸術で生活をするなんて・・と子供のころから無理だと諦めていました。 振り返ると、やっぱり芸術に触れることが好きなんだなぁと思います。 言葉が通じなくても世界中の人と通じ合える芸術や音楽ができたらと 私もそんな人たちの一人になりたいと憧れていました。
誰かの喜ぶ顔をみること、作品をつくること、芸術にふれること、写真をとること、 こうしてホームページをつくること、まずは私が楽しいと思うことをやってみたいと思いました。 私に何ができるか、何が楽しいか、何を続けたいかを探していきたいと思っています。
探していたのは子供の頃からだった
私は何でも人並みにできるけれど、人に自慢できるような特技がないことに コンプレックスを感じていました。また、よく言えば丁寧ですが、行動が遅くて何をやってもうまくいかない自分が好きではありませんでした。 これらを克服するために、まずは自分の好きな事だけをして自信をつけていきました。 そして、行動が遅いことは様々なアルバイトや仕事を通じて人並みレベルまで たどり着けたと思っています。
まじめな優等生タイプから遅めのイヤイヤ期
中学校まではクラス委員を任され、運動会ではリレーの選手に選ばれるような活発な生徒でしたが、高校に入ってからは人に話しかけられなくなるほどの物静かな性格になっていきました。国語は感想文が書けない、友人の結婚式のスピーチも、履歴書の自己PRも書けないほど苦手で、こうして文章を書けるまで成長できるとは予測できない未来でした。 進学は無理と言われるくらい勉強する気がなかった高校時代でしたが、何とか短大へ進学できるくらい頑張ったにも関わらず、アルバイトと遊びに明け暮れていました。就職する気もあまりなく親に言われて就職したけれど、とりあえず就職した 仕事では続くはずがなく数年で退職しました。
自分の人生を歩き始める
敷かれたレールに乗るのは窮屈で、転職してから段々と人見知りがなくなっていきました。 この頃、母の影響で生け花と着付けを習います。生花の魅力をここで 初めて感じたように思います。 また、人との出会いで今まで何もしてこなかった自分に気づかされて 「変わりたい。強くなりたい。何もない自分から抜け出した~い」と海外へ自分探しの旅へ。 帰国後、職を転々としながら、今につながる経験を積んでいきました。
長く暗いトンネルの中をさまよい扉を見つける
東日本大震災後に体調を崩し、 平成が終わるとともに回復して令和を迎えて完治するという不思議な体験をする。 これを機に「後悔しない人生を送りたい。やり残していることをやろう!」と、カルチャーセンターで習った生け花の魅力を思い出し、フラワースクールを探し始めました。